2024・11・10 主日礼拝メッセージ 終末に対する心構え⑩ 「神の奥義の実現」前編 〜吠える獅子の宣言〜
また私は、もう一人の強い御使いが、雲に包まれて天から下って来るのを見た。その頭上には虹があり、その顔は太陽のよう、その足は火の柱のようで、手には開かれた小さな巻物を持っていた。御使いは右足を海の上、左足を地の上に置いて、獅子が吼えるように大声で叫んだ。彼が叫んだとき、七つの雷がそれぞれの声を発した。七つの雷が語ったとき、私は書き留めようとした。すると、天からの声がこう言うのを聞いた。「七つの雷が語ったことは封じておけ。それを書き記すな。」 それから、海の上と地の上に立っているのを私が見たあの御使いは、右手を天に上げ、天とその中にあるもの、地とその中にあるもの、海とその中にあるものを造って、世々限りなく生きておられる方にかけて誓った。「もはや時は残されておらず、第七の御使いが吹こうとしているラッパの音が響くその日に、神の奥義は、神がご自分のしもべである預言者たちに告げたとおりに実現する。」それから、前に天から聞こえた声が、再び私に語りかけた。「行って、海の上と地の上に立っている御使いの手にある、開かれた巻物を受け取りなさい。」私はその御使いのところに行き、「私にその小さな巻物を下さい」と言った。すると彼は言った。「それを取って食べてしまいなさい。それはあなたの腹には苦いが、あなたの口には蜜のように甘い。」そこで、私はその小さな巻物を御使いの手から受け取って食べた。口には蜜のように甘かったが、それを食べてしまうと、私の腹は苦くなった。すると私はこう告げられた。「あなたはもう一度、多くの民族、国民、言語、王たちについて預言しなければならない。」 ヨハネの黙示録 10章1~11節
ここで登場する「もう一人の強い御使い」とは誰でしょう。状況的に見ると、イエスさまと考えられます(そうではないと言う解釈がほとんどですが)。イエスさまであることの七つの証拠を見てみましょう。
①雲に包まれて天から下って来る メシヤは雲に包まれ(乗って)て来る、と旧約聖書でも新約聖書でも預言されています。
神に向かって歌い御名をほめ歌え。雲に乗って来られる方のために道を備えよ。その御名は主。その御前で喜び躍れ。 詩篇 68篇4節
私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲とともに来られた。その方は『年を経た方』のもとに進み、その前に導かれた。 ダニエル書 7章13節
そのとき、人の子のしるしが天に現れます。そのとき、地のすべての部族は胸をたたいて悲しみ、人の子が天の雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。 マタイの福音書 24章30節
イエスは彼に言われた。「あなたが言ったとおりです。しかし、わたしはあなたがたに言います。あなたがたは今から後に、人の子が力ある方の右の座に着き、そして天の雲とともに来るのを見ることになります。」 マタイの福音書 26章64節
見よ、その方は雲とともに来られる。すべての目が彼を見る。彼を突き刺した者たちさえも。地のすべての部族は彼のゆえに胸をたたいて悲しむ。しかり、アーメン。 ヨハネの黙示録 1章7節
「雲」とは「主の臨在」を表すことばであり、絶えず主の臨在に留まっているイエスの「証人」のことです。 「証人」とはマルツウスμάρτυς「殉教者」を意味します。「聖徒たち」のことです。
こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競走を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。 ヘブル人への手紙 12章1節
イエスさまの「証人」とはマルツウスμάρτυς「殉教者」を意味します。「聖徒たち」のことです。
私は、この女が聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。私はこの女を見て、非常に驚いた。 ヨハネの黙示録 17章6節
「聖徒たち」の血と「イエスの証人たち」の血が流されます。「この女」とは「大バビロンの大淫婦」すなわち「イゼベルの霊」のことです。イゼベルの霊が「姦淫と呪術」で、この世を支配しようとするのです。しかし「聖徒たち」と「イエスの証人たち」が大バビロンの獣の支配に決して妥協しないために、彼らは血を流し「殉教者」となるのです。ヨハネは「この女を見て、非常に驚く」のです。なぜなら、大バビロンの獣は、この女と絶えず霊的な交わりがあるため、この獣の支配を受ける者たちも、この女である遊女と交わりを持つこととなります。サタンと悪霊たちの影響がすまじいからです。
しかし、安心してください。
彼らは子羊に戦いを挑みますが、子羊は彼らに打ち勝ちます。子羊は主の主、王の王だからです。子羊とともにいる者たちは、召されて選ばれた忠実な者たちです。 ヨハネの黙示録 17章14節
イエスさまは勝利されました。子羊は主の主、王の王だからです。イエスの証人であり聖徒たちである私たちも必ず勝利します。子羊とともにいる者たちは、召されて選ばれた忠実な者たちだからです。
②その頭上には虹があり
その方の周りにある輝きは、雨の日の雲の間にある虹のようであり、まさに主の栄光の姿のようであった。私はこれを見て、ひれ伏した。そのとき、私は語る者の声を聞いた。 エゼキエル書 1章28節
その方は碧玉や赤めのうのように見え、御座の周りには、エメラルドのように見える虹があった。 ヨハネの黙示録 4章3節
エゼキエルもヨハネも「御座に着いている方」の周りに「虹」を見ています。
さらに神は仰せられた。「わたしとあなたがたとの間に、また、あなたがたとともにいるすべての生き物との間に、代々にわたり永遠にわたしが与えるその契約のしるしは、これである。わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それが、わたしと地との間の契約のしるしである。わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現れる。そのとき、わたしは、わたしとあなたがたとの間、すべての肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い起こす。大水は、再び、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水となることはない。虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべての肉なるものとの間の永遠の契約を思い起こそう。」 創世記 9章12~16節
「虹」とは、全ての肉なる者が滅ぼし尽くされ、さばきは終わったことのしるしなのです。すなわち、イエスさまを取り巻く「虹」とは「神との和解」「平和」の象徴なのです。
③その顔は太陽のよう
そのからだは緑柱石のようで、顔は稲妻のよう、目は燃えるたいまつのようであった。また、腕と足は磨き上げた青銅のようで、彼の語る声は群衆の声のようであった。 ダニエル書 10章6節
ダニエルが見た「亜麻布の衣を着た人」とはイエスさまのことです。
すると、弟子たちの目の前でその御姿が変わった。顔は太陽のように輝き、衣は光のように白くなった。 マタイの福音書 17章2節
三弟子たちが見た、変貌山上でのイエスさまも
また、右手に七つの星を持ち、口から鋭い両刃の剣が出ていて、顔は強く照り輝く太陽のようであった。 ヨハネの黙示録 1章16節
ヨハネが見た再臨のイエスさまも、顔が「太陽」のような輝きに満ちていました。
終わりの時代には、多くの人がその罪故に燃える火で焼き尽くされるでしょう。「義の太陽」が昇るからです。
「見よ、その日が来る。かまどのように燃えながら。その日、すべて高ぶる者、すべて悪を行う者は藁となる。迫り来るその日は彼らを焼き尽くし、根も枝も残さない。──万軍の主は言われる── しかしあなたがた、わたしの名を恐れる者には、義の太陽が昇る。その翼に癒やしがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のように跳ね回る。あなたがたはまた、悪者どもを踏みつける。彼らは、わたしが事を行う日に、あなたがたの足の下で灰となるからだ。──万軍の主は言われる。 マラキ書 4章1~3節
イエスさまは必ずこの地に再び戻って来られます。預言は必ず成就します。
④その足は火の柱のよう
その足は、炉で精錬された、光り輝く真鍮のようで、その声は大水のとどろきのようであった。 ヨハネの黙示録 1章15節
イエスさまの足は福音をもたらす「真理」を表します。それが「火の柱」のようであると言うことは「火」は「真理」「主のみこととば」であると言う意味です。
主は火の中からあなたがたに語られた。あなたがたは語りかける声を聞いたが、御姿は見なかった。御声だけであった。 申命記 4章12節
主はあなたを訓練するため、天から御声を聞かせ、地の上では大いなるご自分の火を見せられた。その火の中から、あなたはみことばを聞いた。 申命記 4章36節
「火の柱」とは「真理の柱」を意味します。
たとえ遅くなった場合でも、神の家でどのように行動すべきかを、あなたに知っておいてもらうためです。神の家とは、真理の柱と土台である、生ける神の教会のことです。 テモテへの手紙 第一 3章15節
「真理の柱」とは「生ける神の教会」のことであり、そこは、主の臨在の満ち溢れているところなのです。「火」とは聖霊さまのことであり「真理の御霊」のことです。
フィラデルフィアの教会が、そのような教会でした。
わたしは、勝利を得る者を、わたしの神の神殿の柱とする。彼はもはや決して外に出て行くことはない。わたしは彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、わたしの神のもとを出て天から下って来る新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを書き記す。 ヨハネの黙示録 3章12節
「新しいエルサレム」とはキリストの花嫁なる私たちのことです。
イスラエルの民が荒野で、昼は「雲の柱」、夜は「火の柱」で守られ導かれました。
主は、昼は、途上の彼らを導くため雲の柱の中に、また夜は、彼らを照らすため火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。昼はこの雲の柱が、夜はこの火の柱が、民の前から離れることはなかった。 出エジプト記 13章21~22節
「雲」も「火」も、主の臨在を表し、主の臨在とみことばにとどまる「聖徒たち」を表しているのです。それはまるで主イエスさまの足もとでみことばに聞き入っていたマリアのようです。主イエスさまの足もとには、みことばだけに信頼して従順する「イエスの証人」たちがいるのです。
彼女にはマリアという姉妹がいたが、主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた。 ルカの福音書 10章39節
⑤手には開かれた小さな巻物を持っていた この「小さな巻物」とは
また私は、御座に着いておられる方の右の手に巻物を見た。それは内側にも外側にも字が書かれていて、七つの封印で封じられていた。また私は、一人の強い御使いが「巻物を開き、封印を解くのにふさわしい者はだれか」と大声で告げているのを見た。 しかし、天でも地でも地の下でも、だれ一人その巻物を開くことのできる者、見ることのできる者はいなかった。 私は激しく泣いた。その巻物を開くにも、見るにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったからである。 すると、長老の一人が私に言った。「泣いてはいけません。ご覧なさい。ユダ族から出た獅子、ダビデの根が勝利したので、彼がその巻物を開き、七つの封印を解くことができます。」 ヨハネの黙示録 5章1~5節
七つの封印で封じられていた巻物です。天でも地でも地の下でも、だれ一人その巻物を開くことのできる者、見ることのできる者はいなかったのです。しかし、ユダ族から出た獅子、ダビデの根が勝利したので、彼がその巻物を開き、七つの封印を解くことができるのです。ユダの獅子、神のことば、イエス・キリストです。
今、まさに「子羊が第七の封印を解く」時代です。
子羊が第七の封印を解いたとき、天に半時間ほどの静けさがあった。 ヨハネの黙示録 8章1節
それから「終わりの時代」が来ます。すべての、聖書の真理が啓かれる時代に入っているのです。すべての律法と預言者と福音書が、すべての人に啓かれる時代です。旧約聖書と新約聖書が一つとなり真理が啓示される時代に入っているのです。そして、最後の審判が始まるのです。御使いがラッパを吹き鳴らす時代です。
⑥右足を海の上、左足を地の上に置いて
やがて、海と地から獣が上って来て、聖徒たちに戦いを挑みます。
獣は、聖徒たちに戦いを挑んで打ち勝つことが許された。また、あらゆる部族、民族、言語、国民を支配する権威が与えられた。 地に住む者たちで、世界の基が据えられたときから、屠られた子羊のいのちの書にその名が書き記されていない者はみな、この獣を拝むようになる。 ヨハネの黙示録 13章7~8節
屠られた子羊のいのちの書にその名が書き記されていない者はみな、この獣を拝むようになるのです。しかし、再臨のイエスさまは、獣が上って来る海の上と地の上に両足を置かれます。それは、海辺の砂の上に立つ竜であるサタンが立っているからです。海辺の砂とは、サタンが持つ地上の権威を指すことばです。これはサタンの持つ力を完全に打ち砕くために再び来られる再臨のイエスさまの姿です。サタンの目的は、女である教会が再臨のイエスさまを迎えることを出来なくさせることなのです。
すると竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスの証しを堅く保っている者たちと戦おうとして出て行った。そして、竜は海辺の砂の上に立った。 ヨハネの黙示録 12章17~18節
⑦獅子が吼えるように大声で叫んだ
まことに、主は私にこう言われる。「獅子、あるいは若獅子が獲物に向かって吼えるとき、たとえ大勢の牧者がそこに呼び集められても、獅子は彼らの声にひるむことなく、彼らの騒ぎにも動じない。そのように、万軍の主は下って来て、シオンの山とその丘の上で戦う。万軍の主は、舞い飛ぶ鳥のようにエルサレムを守る。これを守って救い出し、これを助けて解放する。」 イザヤ書 31章4~5節
彼らは主の後について行く。主は獅子のようにほえる。まことに主がほえると、子らは西から震えながらやって来る。 ホセア書 11章10節
角笛が町で鳴らされたら、民は驚かないだろうか。町にわざわいが起こったら、主がそれをなされたのではないか。 まことに、神である主は、ご自分の計画を、そのしもべである預言者たちに示さずには、何事もなさらない。 獅子が吼える。だれが恐れないでいられよう。神である主が語られる。だれが預言しないでいられよう。 アモス書 3章6~8節
獅子が吠える時は、敵であるサタンと戦う時です。獅子が吠える時は、神である主が、ご自分の計画を、そのしもべである預言者たちに示し、その預言を成就される時です。
イエスさまが大声で獅子のように叫ばれる時はどのような時でしょうか。
仮庵の祭りの時です。
イエスは宮で教えていたとき、大きな声で言われた。「あなたがたはわたしを知っており、わたしがどこから来たかも知っています。しかし、わたしは自分で来たのではありません。わたしを遣わされた方は真実です。その方を、あなたがたは知りません。 わたしはその方を知っています。なぜなら、わたしはその方から出たのであり、その方がわたしを遣わされたからです。」 そこで人々はイエスを捕らえようとしたが、だれもイエスに手をかける者はいなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである。 ヨハネの福音書 7章28~30節
ご自身が真のメシヤであることを宣言する時です。
さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ下っていなかったのである。 ヨハネの福音書 7章37~39節
イエスさまを信じる者が受ける御霊が与えられることを宣言する時です。
世をさばくためではなく、世を救うために来たことを宣言する時です。
イエスは大きな声でこう言われた。「わたしを信じる者は、わたしではなく、わたしを遣わされた方を信じるのです。 また、わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのです。 わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれも闇の中にとどまることのないようにするためです。 だれか、わたしのことばを聞いてそれを守らない者がいても、わたしはその人をさばきません。わたしが来たのは世をさばくためではなく、世を救うためだからです。 わたしを拒み、わたしのことばを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことば、それが、終わりの日にその人をさばきます。 わたしは自分から話したのではなく、わたしを遣わされた父ご自身が、言うべきこと、話すべきことを、わたしにお命じになったのだからです。 わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています。ですから、わたしが話していることは、父がわたしに言われたとおりを、そのまま話しているのです。」 ヨハネの福音書 12章44~50節
最後に十字架上でです。
イエスは酸いぶどう酒を受けると、「完了した」と言われた。そして、頭を垂れて霊をお渡しになった。 ヨハネの福音書 19章30節
「完了した」とは「支払い済み」と言う意味です。主イエスさまの流された十字架の血潮によりすべて罪が赦される。借金が支払い済みとされたのです。
イエスさまは、大きな声で宣言されました。吠える獅子の宣言は、死に打ち勝つ復活の信仰の宣言です。
そう言ってから、イエスは大声で叫ばれた。「ラザロよ、出て来なさい。」 ヨハネの福音書 11章43節
終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。この朽ちるべきものが、朽ちないものを必ず着ることになり、この死ぬべきものが、死なないものを必ず着ることになるからです。そして、この朽ちるべきものが朽ちないものを着て、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、このように記されたみことばが実現します。「死は勝利に吞み込まれた。」 「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。」 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。 しかし、神に感謝します。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。 コリント人への手紙 第一 15章52~57節
祈り
イエスさまの流された十字架の血潮により、もはやサタンが私たちを支配することが出来ないことを宣言します。死に打ち勝ちよみがえられたイエスさまの復活の勝利により、信じるすべて者に永遠のいのちが与えられていることを宣言します。私たちは、身を慎み、目を覚ましています。敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っているからです。 吠える獅子であるイエスさま御名で絶えず宣言してお祈りします。イエスさまの十字架と復活の勝利によりサタンと悪霊たちの支配は終わった、完了したことを宣言します。アーメン

