2025・12・14 主日礼拝メッセージ 新創世記③בראשית 「光あれ」後編 〜現在のイスラエルと異邦人教会〜
今のイスラエルと異邦人教会を表すイエスのみことば
しかし、イエスは彼らの心を見抜いて言われた。「どんな国でも内輪もめしたら荒れすたれ、家も内輪で争えば倒れます。 あなたがたは、わたしがベルゼブルによって悪霊どもを追い出していると言いますが、サタンが仲間割れしたのなら、どうしてサタンの国は立ち行くことができるでしょう。 もし、わたしがベルゼブルによって悪霊どもを追い出しているとしたら、あなたがたの子らが悪霊どもを追い出しているのは、だれによってなのですか。そういうわけで、あなたがたの子らがあなたがたをさばく者となります。 しかし、わたしが神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。 強い者が十分に武装して自分の屋敷を守っているときは、その財産は無事です。 しかし、もっと強い人が襲って来て彼に打ち勝つと、彼が頼みにしていた武具を奪い、分捕り品を分けます。 わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしとともに集めない者は散らしているのです。 汚れた霊は人から出て行くと、水のない地をさまよって休み場を探します。でも見つからず、『出て来た自分の家に帰ろう』と言います。 帰って見ると、家は掃除されてきちんと片付いています。 そこで出かけて行って、自分よりも悪い、七つのほかの霊を連れて来て、入り込んでそこに住みつきます。そうなると、その人の最後の状態は、初めよりも悪くなるのです。」 ルカの福音書 11章17~26節
ルカ11:17-26のヘブライ的解釈 内輪もめの警告 כָּל־מַמְלָכָה נֶחְלְקָה עָלֶיהָ תֵּחֱרַב 「どんな国でも内輪もめしたら荒れすたれる」
תֵּחֱרַב (テヘラヴ) 「荒れすたれる」が創世記1:2の תֹהוּ וָבֹהוּ 状態であり、バビロン捕囚時のエルサレム、AD70年のエルサレム破壊の状態を表しています。
チャレンジ①あれすたれる、創世記で言うとどんな状態でしょう。
「茫漠」ぼうばくトオフ バボフウ הוּ וָבֹהוּ 「形なく、空虚で、混沌」の状態です。
掃除された家のたとえ(24-26節) הָרוּחַ הַטְּמֵאָה כְּשֶׁתֵּצֵא מִן־הָאָדָם 「汚れた霊は人から出て行くと」
これは以下の歴史的段階を示唆します
第一神殿時代 ソロモンの死後、王国は、北イスラエルと南ユダ王朝に分立し、偶像礼拝(רוּחַ הַטְּמֵאָה 汚れた霊)が蔓延し、最終的にはバビロン捕囚による掃除が始まる。
第二神殿時代 「掃除された家」 וְהִנֵּה הַבַּיִת מְטֻהָר וּמְסֻדָּר 「家は掃除されてきちんと片付いている」 エズラ・ネヘミヤの改革により偶像礼拝から解放されトーラーへの献身と導かれる。
しかしרוּחַ הַקֹּדֶשׁ(ルアハ・ハコデシュ)聖霊が欠如していたため、メシヤを迎えるまで、一人の預言者もイスラエルには与えられませんでした。沈黙の400年と呼ばれ「霊的空白」期間です。メシヤを迎えるために、バプテスマのヨハネがエリヤの使命を持ってתְּשׁוּבָה(テシュバー)悔い改めを宣べ伝えましたが、イスラエルはמָשִׁיחַ(マーシーアハ)メシアを拒絶しました。
チャレンジ②イスラエルはメシヤであるイエスさまをお迎えするまで何が足りませんか。
רוּחַ הַקֹּדֶשׁ(ルアハ・ハコデシュ)聖霊さまです。
イエスのたとえ話のハザードの二重性 イエスのこの教えは、表面的にはパリサイ人たちへの応答ですが、より深い預言的意味を持っています。特に24-26節の「汚れた霊の帰還」のたとえは、この「霊的空白」の危険性について警告しています。
現代のイスラエルへ 「掃除されてきちんと片付いた家」の状態 現代のイスラエル国家は、多くの点で「掃除された家」に似ています。 バビロン捕囚後、第二神殿を建て偶像礼拝から一時的に離れました。イエスを迎える準備をしてバプテスマのヨハネにより、悔い改めのバプテスマを持って、メシヤを迎える道備えが整いました。しかし、十字架につけ、エルサレムの神殿は崩壊し、民は全世界に散らされることになります。
1948年の建国により、物理的・政治的に再建されました。ユダヤ教は律法と伝統を重んじる道徳的社会を築きました。しかし、メシアであるイエスを受け入れていないことにより、今日まで「霊的空白」期間が続いているのです。
「わたしに味方しない者はわたしに敵対し」(23節) イエスは中立の立場を認めません。イスラエルがメシアを拒絶したまま「きちんと片付いた」状態でいることを意味しています。宗教的・道徳的には整っていますが、聖霊の内住がないのです。「霊的空白」の状態です。これは最も危険な霊的状態であるというイエスの警告ハザードです。
このイエスの教えは、宗教的・道徳的な外見だけでは不十分であることを示しています。イスラエルも教会も、キリストご自身と聖霊の臨在なしには、「掃除されてきちんと片付いた空き家」に過ぎず、より悪い霊的状態に陥る危険があります。 真の安全は「もっと強い人」であるイエスが家を守り、聖霊が内住することによってのみ確保されるのです(20節)
どうか御父が、その栄光の豊かさにしたがって、内なる人に働く御霊により、力をもってあなたがたを強めてくださいますように。 エペソ人への手紙 3章16節
イスラエルには、この「内なる人に働く御霊」の油注ぎが必要なのです。私たちも同じ状態です。
「七つのほかの霊」の預言的意味 七つの霊の到来 /大患難時代 אָז הוֹלֵךְ וְלוֹקֵחַ שֶׁבַע רוּחוֹת אֲחֵרוֹת רָעוֹת מִמֶּנּוּ 「七つのほかの霊を連れて来る」
שֶׁבַע (シェバ) は七は完全数です。これは完全な悪の支配を示唆します。 獣の支配(黙示録13章)
また私は、海から一頭の獣が上って来るのを見た。これには十本の角と七つの頭があった。その角には十の王冠があり、その頭には神を冒瀆する様々な名があった。 ヨハネの黙示録 13章1節
チャレンジ③ 「七つのほかの霊を連れて来る」とは何を意味しているでしょう。
七つの霊の到来 とは、7年の大患難時代(だいかんなんじだい)を意味しています。
偽預言者/反キリストの欺き
שִׁקּוּץ מְשֹׁמֵם(シクーツ・メショメーム) 荒らす憎むべきもの
シクーツשִׁקּוּץ「忌み嫌うべきもの」「忌まわしいもの」「偶像」 メショメームמְשֹׁמֵם「荒廃させる」「打ちのめす」「驚嘆させる」
愛する者たち、霊をすべて信じてはいけません。偽預言者がたくさん世に出て来たので、その霊が神からのものかどうか、吟味しなさい。神からの霊は、このようにして分かります。人となって来られたイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。イエスを告白しない霊はみな、神からのものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていましたが、今すでに世に来ているのです。 ヨハネの手紙 第一 4章1~3節
荒らす憎むべきものשִׁקּוּצִים מְשֹׁמֵם (シクーツ・メショメーム)の出現
ダニエル9:27の預言的成就
彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる。忌まわしいものの翼の上に、荒らす者が現れる。そしてついには、定められた破滅が、荒らす者の上に降りかかる。 ダニエル書 9章27節
וְהִגְבִּיר בְּרִית לָרַבִּים שָׁבוּעַ אֶחָד 「彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び」
וַחֲצִי הַשָּׁבוּעַ יַשְׁבִּית זֶבַח וּמִנְחָה 「半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる」
この「半週」(חֲצִי הַשָּׁבוּעַ) とは、 3年半 = 1260日 = 42ヶ月のことです。 これが黙示録12:14のכַּעֵת וְעִתִּים וַחֲצִי עֵת(カエート・ヴェイティーム・ヴァハツィー・エート)「一時と二時と半時」なのです。
しかし、女には大きな鷲の翼が二つ与えられた。荒野にある自分の場所に飛んで行って、そこで一時と二時と半時の間、蛇の前から逃れて養われるためであった。 ヨハネの黙示録 12章14節
いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを悩ます。彼は時と法則を変えようとする。聖徒たちは、一時と二時と半時の間、彼の手に委ねられる。 ダニエル書 7章25節
大患難時代の後半の3年半です。
「いと高き方に逆らう存在」 神に敵対する「小さな角」(ダニエル書7章)や「獣」(黙示録13章)に代表される、終末に現れる反キリスト的な権力を指します。
「時と法則を変えようとする」 神の定めた時(礼拝、例祭)や律法(神のことば)を自分に都合よく改ざんし、解釈しようとすることを指します。
「一時と二時と半時」 これは文字通りの時間ではなく、象徴的な期間(3年半、または42ヶ月、1260日)を指します。これは、神の民(聖徒たち)が大きな迫害(大患難)を受ける期間の後半部分、つまり反キリストの権力が最高潮に達し、聖徒たちを徹底的に苦しめる時期を指すと解釈されます。
チャレンジ④ 荒らす憎むべきものשִׁקּוּצִים מְשֹׁמֵם (シクーツ・メショメーム)とは、誰のことでしょう。
反キリスト、偽キリスト、獣のことです。
ゼカリヤ13:8-9の精錬
全地はこうなる──主のことば──。その三分の二は断たれ、死に絶え、三分の一がそこに残る。 わたしはその三分の一を火の中に入れ、銀を錬るように彼らを錬り、金を試すように彼らを試す。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『これはわたしの民』と言い、彼らは『主は私の神』と言う。」 ゼカリヤ書 13章8~9節
これが「聖徒たちは皆、大患難時代を通らなければならい」と言う解釈の大きなみことばの箇所です。
וְהָיָה בְכָל־הָאָרֶץ נְאֻם־יְהוָה פִּי־שְׁנַיִם בָּהּ יִכָּרְתוּ יִגְוָעוּ וְהַשְּׁלִשִׁית יִוָּתֶר בָּהּ 「全地の三分の二は断たれ、死に絶え、三分の一がそこに残る」
וְהֵבֵאתִי אֶת־הַשְּׁלִשִׁית בָּאֵשׁ וּצְרַפְתִּים כִּצְרֹף אֶת־הַכֶּסֶף 「わたしはその三分の一を火の中に入れ、銀を錬るように彼らを錬る」
銀を錬るように彼らを錬り 「練る」と訳されていることばはצרף (ツァラフ) 「精錬する。試みる、試す。」と言う意味です。
この動詞は以下の箇所で使用されています。 詩篇66:10 「神よ、あなたは私たちを試みられた。銀を精錬するように私たちを錬られた」(練られた) 箴言17:3 「るつぼは銀のため、炉は金のため。しかし主は心を試される」(試される) マラキ3:3 「彼は銀を精錬する者、きよめる者として座に着き」(精錬する)
この大患難時代は、イスラエルをצרף (ツァラフ)精錬してקָרָא בִּשְׁמִי(カーラー・ビシュミー)「わたしの名を呼ぶ民とする」ためです。
וְקָרָא בִשְׁמִי וַאֲנִי אֶעֱנֶה אֹתוֹ 「彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える」
אָמַרְתִּי עַמִּי הוּא וְהוּא יֹאמַר יְהוָה אֱלֹהָי 「わたしは『これはわたしの民』と言い、彼らは『主は私の神』と言う」
この最後の宣言がיְהִי אוֹר וַיְהִי־אוֹר「光あれ、すると光があった」の成就です。 本来の「光の民」であるイスラエルが「光」であるイエスをメシヤとして迎えるのです。
チャレンジ⑤ なぜ、全員が大患難時代(だいかんなんじだい)を通らなければならいのでしょう。
この大患難時代(だいかんなんじだい)は、イスラエルと私たちをצרף (ツァラフ)精錬してקָרָא בִּשְׁמִי(カーラー・ビシュミー)「わたしの名を呼ぶ民とする」ために通らなければならいのです。
ローマ11:25-26の奥義
兄弟たち。あなたがたが自分を知恵のある者と考えないようにするために、この奥義を知らずにいてほしくはありません。イスラエル人の一部が頑なになったのは異邦人の満ちる時が来るまでであり、 こうして、イスラエルはみな救われるのです。「救い出す者がシオンから現れ、ヤコブから不敬虔を除き去る。 ローマ人への手紙 11章25~26節
כִּי לֹא אֶחְפֹּץ אַחַי שֶׁתִּהְיוּ בּוֹרִים מֵהַסּוֹד הַזֶּה 「兄弟たち、この奥義を知らずにいてほしくはありません」
סוֹד (ソード) 「奥義」は以下を示します 神の隠された計画 今や啓示された真理 イスラエルと異邦人の関係 קַשְׁיוּת בַּמִּקְצָת הָיְתָה לְיִשְׂרָאֵל עַד אֲשֶׁר יָבוֹא מְלֹא הַגּוֹיִם 「イスラエル人の一部が頑なになったのは異邦人の満ちる時が来るまで」です。
מְלֹא הַגּוֹיִם (メロー・ハゴイーム) 異邦人の満ちる時 異邦人教会の完成とは、教会がキリストの花嫁としての準備を完了させることです。
チャレンジ⑥パウロが言っている、奥義(おくぎ)とは何のことでしょう。
「イスラエル人の一部が頑なになったのは異邦人の満ちる時が来るまで」で、
異邦人教会が完成する時、イスラエルは皆救われると言うことです。
מְלֹא הַגּוֹיִם (メロー・ハゴイーム) 異邦人の満ちる時とは、教会がキリストの花嫁としての準備を完了させることです。
「新しいエルサレム」「キリストの花嫁」「新しい天と新しい地」の登場の預言
また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。 ヨハネの黙示録 21章1~2節
見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。先のことは思い出されず、心に上ることもない。 だから、わたしが創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。そこではもう、泣き声も叫び声も聞かれない。 イザヤ書 65章17~19節
わたしが造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くのと同じように、──主のことば──あなたがたの子孫とあなたがたの名もいつまでも続く。 イザヤ書 66章22節
この「新しい天と新しい地」が「新しいエルサレム」「キリストの花嫁」です。
チャレンジ⑦聖書が言う「新しい天と新しい地」とは誰のことですか。
「新しいエルサレム」「キリストの花嫁」のことです。
本当の携挙の時 וְכָכָה יִוָּשַׁע כָּל־יִשְׂרָאֵל 「こうして、イスラエルはみな救われる」
כָּל־יִשְׂרָאֵל (カル・イスラエル) 全イスラエルが救われるのです。
全イスラエルとは「イスラエルの残された者」三分の一(ゼカリヤ13:9)のことです。 信仰によって生き「残った者」たちだけが引き上げられます。「キリストの花嫁」たちです。
イザヤの新創造の預言 イザヤ65:17-19
見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。先のことは思い出されず、心に上ることもない。 だから、わたしが創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。そこではもう、泣き声も叫び声も聞かれない。 イザヤ書 65章17~19節
כִּי־הִנְנִי בוֹרֵא שָׁמַיִם חֲדָשִׁים וָאָרֶץ חֲדָשָׁה 「見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する」
ここで用いられているבּוֹרֵא (ボーレー) 創造する(分詞)は、創世記1:1のבָּרָא (バーラー)と同じ語根です。創世記もイザヤ書も「新しい天と新しい地の創造」のことを言っているのです。
無からの創造 神のみができる行為
וְלֹא תִזָּכַרְנָה הָרִאשֹׁנוֹת 「先のことは思い出されず」
創世記1:2のתֹהוּ וָבֹהוּ וְחֹשֶׁךְ「ぼうばくとして何もない」状態は完全に忘れられます。
כִּי־הִנְנִי בוֹרֵא אֶת־יְרוּשָׁלִַם גִּילָה 「見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし」
新しいエルサレムはגִּילָה (ギーラー) 「喜び」そのものとして創造されます。
וְלֹא־יִשָּׁמַע בָּהּ עוֹד קוֹל בְּכִי וְקוֹל זְעָקָה 「そこではもう、泣き声も叫び声も聞かれない」
これは黙示録21:4の成就です וּמָחָה אֱלֹהִים כָּל־דִּמְעָה מֵעֵינֵיהֶם 「神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる」
イザヤ66:22 כִּי כַאֲשֶׁר הַשָּׁמַיִם הַחֲדָשִׁים וְהָאָרֶץ הַחֲדָשָׁה אֲשֶׁר אֲנִי עֹשֶׂה 「わたしが造る新しい天と新しい地」
עֹמְדִים לְפָנַי נְאֻם־יְהוָה 「わたしの前にいつまでも続く」
כֵּן יַעֲמֹד זַרְעֲכֶם וְשִׁמְכֶם 「あなたがたの子孫とあなたがたの名もいつまでも続く」
これはבְּרִית עוֹלָם (ベリート・オーラーム)「 永遠の契約」の最終的成就です。
イザヤ43:19の新しい事
見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。あなたがたは、それを知らないのか。必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける。 イザヤ書 43章19節
הִנְנִי עֹשֶׂה חֲדָשָׁה עַתָּה תִצְמָח 「見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている」
תִצְמָח (ティツマハ) 芽生える(未完了形) 植物が芽を出すように、見えないが確実に成長し続けている状態を表しています。突然の顕現の前の隠れた準備を意味します。
הֲלוֹא תֵדָעוּהָ 「あなたがたは、それを知らないのか」 神の新しい創造は、既に始まっています。
רוּחַ אֱלֹהִים מְרַחֶפֶת「神の霊が舞いかけている」ように、目に見えない準備が進行中です。
אַף אָשִׂים בַּמִּדְבָּר דֶּרֶךְ בִּישִׁמוֹן נְהָרוֹת 「必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける」
מִּדְבָּר (ミドバール) 荒野は、現在のイスラエルの霊的状態を象徴します。 しかし、神は必ずדֶּרֶךְ (デレフ) 道を開かれます。
イスラエルは大患難を経て、最終的にメシアを認める(ゼカリヤ12:10、ローマ11:25-26)ようになるのです。
異邦人教会は背教と世俗化が進み、主イエスの再臨の前に霊的衰退(2テサロニケ2:3、2テモテ3:1-5)をするようになるでしょう。
どんな手段によっても、だれにもだまされてはいけません。まず背教が起こり、不法の者、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないのです。 テサロニケ人への手紙 第二 2章3節
終わりの日には困難な時代が来ることを、承知していなさい。 そのときに人々は、自分だけを愛し、金銭を愛し、大言壮語し、高ぶり、神を冒瀆し、両親に従わず、恩知らずで、汚れた者になります。また、情け知らずで、人と和解せず、中傷し、自制できず、粗野で、善を好まない者になり、 人を裏切り、向こう見ずで、思い上がり、神よりも快楽を愛する者になり、見かけは敬虔であっても、敬虔の力を否定する者になります。こういう人たちを避けなさい。 テモテへの手紙 第二 3章1~5節
このような状態がすでに教会に来ています。悔い改めが必要です。教会は次とことをしなければなりません。
イスラエルのために メシアニック・ジューの働きを支援する イスラエルの救いのために祈る
兄弟たちよ。私の心の願い、彼らのために神にささげる祈りは、彼らの救いです。 ローマ人への手紙 10章1節
反ユダヤ主義に警戒する
教会自身のために 形式主義と霊的空白を警戒 聖霊の満たしを絶えず求める
このイエスの教えは、宗教的・道徳的な外見だけでは不十分であることを示しています。イスラエルも教会も、キリストご自身と聖霊の臨在なしには、「掃除されてきちんと片付いた空き家」に過ぎず、より悪い霊的状態に陥る危険があります。 真の安全は「もっと強い人」であるイエスが家を守り、聖霊が内住することによってのみ確保されるのです(20節)
どうか御父が、その栄光の豊かさにしたがって、内なる人に働く御霊により、力をもってあなたがたを強めてくださいますように。 エペソ人への手紙 3章16節
イスラエルにも異邦人教会にも「内なる人に働く御霊」が必要なのです。
「神の時」を待ち望む 神の霊が「舞いかけている」ように、私たちも忍耐をもって神の時を待つ必要があります。
異邦人教会の責任 「異邦人の満ちる時」を完成させることで、イスラエルの回復を待つ。「献身的な礼拝」を通してキリストの身丈にまで成熟して行く必要かあります。
希望の宣言 闇と混沌は永遠ではない。「光あれ」の瞬間は必ず来る。イスラエルがイエスをメシアとして信じる時です。「すると、光があった」のです。
結びの預言的宣言 創世記1:2は、こう預言しています 「エルサレム(地)は、今、形なく空虚で、闇に覆われている。深淵(臨在)がその上にある。神の霊は決してそこを見捨てていない。母鳥が雛を守るように、神の霊はエルサレムの上を舞いかけ、新しい創造の時を準備しておられる。やがて、神が『光あれ』と語られる日が来る。イスラエルが「光」であるイエスをメシアとして信じる時です。その時、闇は去り、混沌はイエスにより秩序となり、神の完全な臨在がエルサレムに戻る。それは、新しい天と新しい地、新しいエルサレムの始まりとなる。」のです。 キリストの花嫁の登場です。
「創造の神よ、あなたの霊は今もエルサレムの上を舞いかけておられます。「トフ・ヴァボフ」 תֹהוּ וָבֹהוּの状態にある、あなたの聖なる都イスラエルに、やがて『光あれ』と語られる日を待ち望みます。あなたの完全な臨在がイスラエルに戻り、全イスラエル(イスラエルの残りの者たち)が救われ、全地があなたの栄光に満たされる日を待ち望みます。

