2024・10・20 主日礼拝メッセージ 終末に対する心構え⑨ 「第六の御使のラッパ」前編 〜大バビロンから解き放たれる四人の御使〜
第六の御使いがラッパを吹いた。すると、神の御前にある金の祭壇の四本の角から、一つの声が聞こえた。 その声は、ラッパを持っている第六の御使いに言った。「大河ユーフラテスのほとりにつながれている、四人の御使いを解き放て。」 すると、その時、その日、その月、その年のために用意されていた、四人の御使いが解き放たれた。人間の三分の一を殺すためであった。騎兵の数は二億で、私はその数を耳にした。 ヨハネの黙示録 9章13~16節
「神の御前にある金の祭壇の四本の角」とは何を意味するでしょう。
「金の祭壇」には、香がたかれています。香とともに、聖徒たちの祈りに添えて「金の祭壇」でたかれるのです。
また、別の御使いが来て、金の香炉を持って祭壇のそばに立った。すると、たくさんの香が彼に与えられた。すべての聖徒たちの祈りに添えて、御座の前にある金の祭壇の上で献げるためであった。 香の煙は、聖徒たちの祈りとともに、御使いの手から神の御前に立ち上った。 それから御使いは、その香炉を取り、それを祭壇の火で満たしてから地に投げつけた。すると、雷鳴と声がとどろき、稲妻がひらめき、地震が起こった。 ヨハネの黙示録 8章3~5節
「金の祭壇」から立ち上る「香の煙」は「聖徒たち祈り」なのです。
「四本の角」とは「神の権威」を表します。 大祭司は、その時、その日、その月、その年、罪のきよめのささげ物をいけにえとし、この祭壇の四本の角にその血を塗ります。そして、その角をつかんで民にためのとりなしの祈りをささげるのです。
追い詰められて、この「四本の角」をつかんで祈った人の話があります。
この知らせがヨアブのところに伝わった。ヨアブはアブサロムにはつかなかったが、アドニヤについていたのである。ヨアブは主の天幕に逃げ、祭壇の角をつかんだ。 ソロモン王に「ヨアブが主の天幕に逃げて、今、祭壇の傍らにいる」という知らせがあった。するとソロモンは、「行って彼を討ち取れ」と命じて、エホヤダの子ベナヤを遣わした。 ベナヤは主の天幕に入って、彼に言った。「王がこう言われる。『外に出よ。』」彼は「いや、ここで死ぬ」と言った。ベナヤは王にこのことを報告した。「ヨアブはこう私に答えました。」 王は彼に言った。「彼が言ったとおりにせよ。彼を討ち取って葬れ。こうして、ヨアブが理由もなく流した血の責任を、私と、私の父の家から取り除け。 主は、彼が流した血を彼の頭に注ぎ返される。彼は自分よりも正しく善良な二人の者に討ちかかり、剣で虐殺したからだ。彼は私の父ダビデが知らないうちに、イスラエルの軍の長である、ネルの子アブネルと、ユダの軍の長である、エテルの子アマサを虐殺したのだ。 二人の血は永遠にヨアブの頭と彼の子孫の頭に注ぎ返され、ダビデとその子孫、および、その家と王座には、とこしえまでも主から平安があるように。」 エホヤダの子ベナヤは上って行き、彼を打って殺した。ヨアブは荒野にある自分の家に葬られた。 列王記 第一 2章28~34節
ここで、注目して欲しいのは、ヨアブは「主の天幕に逃げ、祭壇の角をつかんだ」のですが、それは彼にとって何の役にも立たなかったということです。主に対する信仰が無いからです。
イエスさまの御名による祈りには「権威」があります。しかし、自分の思いや力で「角」をつかんでも、何の権威もないのです。
金の祭壇から立ち上る香は聖徒たちの祈りですので権威があります。この祈りの応答が「一つの声」です。おそらく、この声は主イエスさまの声でしょう。
「大河ユーフラテスのほとりにつながれている、四人の御使いを解き放て」の意味は何でしょう。
「大河ユーフラテスのほとり」は大バビロンの中心地です。言うなればサタンの総本山です。
彼は力強い声で叫んだ。「倒れた。大バビロンは倒れた。それは、悪霊の住みか、あらゆる汚れた霊の巣窟、あらゆる汚れた鳥の巣窟、あらゆる汚れた憎むべき獣の巣窟となった。 ヨハネの黙示録 18章2節
「悪霊の住みか」につながれている「四人の御使い」とは「悪霊たち」のことです。
「四人の御使い」とは「あらゆる汚れた霊」のことなのです。
これは「創造の六日目」を表します。
神は仰せられた。「地は生き物を種類ごとに、家畜や、這うもの、地の獣を種類ごとに生じよ。」すると、そのようになった。 神は、地の獣を種類ごとに、家畜を種類ごとに、地面を這うすべてのものを種類ごとに造られた。神はそれを良しと見られた。 創世記 1章24~25節
「四人の御使い」とは「四つ足で地を這うもの」のことで、汚れた霊を表します。
地に群がるもののうち、腹で這うもの、また四本の足で歩くもの、あるいは多くの足のあるもの、これらのどれも、あなたがたは食べてはならない。それらは忌むべきものである。 レビ記 11章42節
「家畜」とは ベヒマハבהמה です。「海の巨獣」タニンתניןと同じく、サタンを表すことばです。
あなたはバビロンの王について、このような嘲りの歌を歌って言う。「虐げる者はどのようにして果てたのか。横暴はどのようにして終わったのか。 イザヤ書 14章4節 明けの明星、暁の子よ。どうしておまえは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしておまえは地に切り倒されたのか。 イザヤ書 14章12節
「バビロンの王」に例えられている「明けの明星、暁の子」は「堕落した天使であるルシファー」のことです。いなごたち、悪霊たちの頭である「ルシファー」が「底知れぬところ」に落とされると言う預言です。悪霊たちの王である、「獣や家畜」訳されているベヒマハבהמה や「海の巨獣」と訳されているタニンתניןが「底知れぬところ」から、悪霊たちを遣わしてメシヤを迎えさせまいとするのです。
また、大きなしるしが天に現れた。一人の女が太陽をまとい、月を足の下にし、頭に十二の星の冠をかぶっていた。 女は身ごもっていて、子を産む痛みと苦しみのために、叫び声をあげていた。 また、別のしるしが天に現れた。見よ、炎のように赤い大きな竜。それは、七つの頭と十本の角を持ち、その頭に七つの王冠をかぶっていた。 その尾は天の星の三分の一を引き寄せて、それらを地に投げ落とした。また竜は、子を産もうとしている女の前に立ち、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。 ヨハネの黙示録 12章1~4節
終わりの時代に、主は「底知れぬところ」の王であるサタンが、自分に仕える汚れた霊である悪霊たちをこの地上に送り込むことを許されるのです。何のためでしょう。聖徒たちの信仰と礼拝を測るためです。
再臨のイエスさまをお迎えする時代に、サタンは、解き放たれた悪霊たちにより、あらゆる手段を用いて聖徒たちを試みに遭わせます。
またイエスは、自分の領分を守らずに自分のいるべき所を捨てた御使いたちを、大いなる日のさばきのために、永遠の鎖につないで暗闇の下に閉じ込められました。 ユダの手紙 1章6節
「大いなる日のさばき」の時が満ちると「永遠の鎖」から悪霊たちは解き放たれます。
何のためでしょう。
「その時、その日、その月、その年のため」です。ファイナルジャッチの時、再臨のイエスさまの時、人間の三分の一を殺すためです。すべての人は、神様の前に出て、公平なさばきを受けることになります。その前に、用意されていた者たちが悪霊たちです。サタンに仕える汚れた霊である悪霊たちが解き放たれるのです。二億もの悪霊たちが馬に乗って災害を引き起こし、人々を霊的な死に閉じ込め縛ってしまうのです。
すると、その時、その日、その月、その年のために用意されていた、四人の御使いが解き放たれた。人間の三分の一を殺すためであった。騎兵の数は二億で、私はその数を耳にした。 ヨハネの黙示録 9章15~16節
しかし、第六の御使のラッパが吹き鳴らされる時には希望があります。それは「人」ハアダムהאדםである、イエスさまの受肉です。
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。 ヨハネの福音書 1章14節
受肉こそ唯一の希望であり、十字架で流されたイエスさまの血潮だけが、悪霊の全てのわざを断ち切ることが出来るのです。
神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。 創世記 1章27節
創造の六日目から、すでに、メシヤの受肉が預言されているのです。この「人」が、ハアダム האדם であるイエスさまです。
弟子たちは、主イエスさまの権威を受けて宣教へと遣わされます。私たちも同じです。
さて、七十二人が喜んで帰って来て言った。「主よ。あなたの御名を用いると、悪霊どもでさえ私たちに服従します。」 イエスは彼らに言われた。「サタンが稲妻のように天から落ちるのを、わたしは見ました。 確かにわたしはあなたがたに、蛇やサソリを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けました。ですから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。 しかし、霊どもがあなたがたに服従することを喜ぶのではなく、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」 ルカの福音書 10章17~20節
祈り イエスさま、あなたの御名には力があります。イエスさまの御名には癒しがあります。イエスさまの御名には救いがあります。 やがて、聖霊の火で満ち溢れた聖徒たちの祈りでいっぱいになった「香炉」が、この地に投げつけられます。その時、その日、その月、その年に、主の御前に立てるのは、主イエスさまの十字架の血潮を注がれた者たちだけです。イエスさまの十字架で流された血潮だけが、悪霊たちの攻撃を打ち破ることが出来ます。主イエスさまを賛美する時、敵が逃げ去ります。悔い改めた者だけに注がれるイエスさまの十字架の血潮だけが、悪魔の力を打ち破ることが出来ます。今、すべての罪の悔い改めをします。イエスさま、あなたの流された血潮によりきよめてください。アーメン

