2025・8・10 主日礼拝メッセージ 聖餐式 「殺してはならない」 〜古い戒めと新しい戒めの決定的違い〜
昔の人々に対して、『殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院でさばかれます。『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。 ですから、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物を献げなさい。 あなたを訴える人とは、一緒に行く途中で早く和解しなさい。そうでないと、訴える人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれることになります。 まことに、あなたに言います。最後の一コドラントを支払うまで、そこから決して出ることはできません。 マタイの福音書 5章21~26節
ここでは、モーセの十戒「殺してはならない」という律法を、イエスがより深い霊的次元で解き明かしておられます。
1 律法の完成者としてのイエスの教え
モーセの十戒との比較
モーセの十戒では「殺してはならない」(出エジプト記20:13)と命じられています。
これは行為に関する禁止命令でした。しかし、イエスは「兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません」と教えられました。
律法の完成のポイント
外面から内面へ
行為だけでなく、心の動機まで探られる
ですから、主が来られるまでは、何についても先走ってさばいてはいけません。主は、闇に隠れたことも明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのときに、神からそれぞれの人に称賛が与えられるのです。 コリント人への手紙 第一 4章5節
消極的から積極的へ
禁止から愛の実践へ してはいけない、から、したいへ
神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。 ピリピ人への手紙 2章13節
神の命令を守ること、それが、神を愛することです。神の命令は重荷とはなりません。 ヨハネの手紙 第一 5章3節
個人から関係性へ 自分にでなく隣人との関係性に信仰が現れる
私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立つでしょうか。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。兄弟か姉妹に着る物がなく、毎日の食べ物にも事欠いているようなときに、あなたがたのうちのだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹になるまで食べなさい」と言っても、からだに必要な物を与えなければ、何の役に立つでしょう。同じように、信仰も行いが伴わないなら、それだけでは死んだものです。 ヤコブの手紙 2章14~17節
イエスは律法を廃棄されたのではなく、その本来の意図を明らかにされました。「わたしが律法や預言者を廃棄するために来たと思ってはなりません。廃棄するためではなく、成就するために来たのです」(マタイ5:17)。 イエスは、神の御怒りとさばきを十字架ですべて受けてくださり、神との和解を与えてくださいました。それによって、私たちは隣人と和解できるようになったのです。十字架の七つのヘリくだりです。
キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、 ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、 自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。 ピリピ人への手紙 2章6~8節
兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院でさばかれます。『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。
このみことばは三段階の審判の厳しさを表しています
イエスは段階的に厳しさを示されのです
①「怒り」の心のままではさばきを受ける ②「ばか者」と言う者は最高法院でさばかれる ③「愚か者」と言う者はゲヘナに投げ込まれる
この厳しい基準は、神の聖さと人間関係の重要性を示しています。
チャレンジ①おこって、人をバカにしたりすることがなぜいけないことなのでしょう。 神さまは、すべての人を愛しています。神さまはご自分と私たちを和解させるために、イエスさまを十字架につけられました。それは、私たちも神さまの愛ですべて人を愛するためです。
2 みことばの適用
なぜこれほど厳しいのか
この箇所の厳しさに驚かれる方も多いでしょう。しかし、これは私たちを絶望に陥れるためではありません。
イエスの意図
罪の深刻さの認識のため 私たちの心の状態に気づきを与えるためです
神の恵みへと導くため 自分の力では不可能であることを理解させるためです
メシアの必要性への理解 救い主への信頼を深めさせるためです
この基準は、私たちがいかに神の恵みを必要としているかを示します 完璧でなくても、悔い改めと成長の心を持ち続けましょう 兄弟姉妹との関係において、愛と赦しを実践しましょう
チャレンジ② イエスさまのみことばは、なぜこれほどきびしいのでしょう。 私たちを罪のくいあらためへともちびくためです。
和解の重要性
真の礼拝者の姿勢
礼拝と和解の関係
イエスは「祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい」と教えられました。これは、神との関係と人との関係が密接につながっていることを示しています。
旧約聖書の証言
「あなたがたの多くのいけにえは、わたしにとって何になろう。──主は言われる──わたしは、雄羊の全焼のささげ物や、肥えた家畜の脂肪に飽きた。雄牛、子羊、雄やぎの血も喜ばない。 あなたがたは、わたしに会いに出て来るが、だれが、わたしの庭を踏みつけよとあなたがたに求めたのか。 もう、むなしいささげ物を携えて来るな。香の煙、それはわたしの忌み嫌うもの。新月の祭り、安息日、会合の召集──わたしは、不義と、きよめの集会に耐えられない。 あなたがたの新月の祭りや例祭を、わたしの心は憎む。それはわたしの重荷となり、それを担うのに疲れ果てた。 あなたがたが手を伸べ広げて祈っても、わたしはあなたがたから目をそらす。どんなに祈りを多くしても聞くことはない。あなたがたの手は血まみれだ。 洗え。身を清めよ。わたしの目の前から、あなたがたの悪い行いを取り除け。悪事を働くのをやめよ。 善をなすことを習い、公正を求め、虐げる者を正し、みなしごを正しくさばき、やもめを弁護せよ。」 イザヤ書 1章11~17節
怒りを持ったまま、さばく心を持ったままの状態で礼拝することの偽善性を神は嘆いているのです。まず必要なことは、自分の身を罪からきよめ、汚れた血をイエスの血潮により洗いきよめられることです。主の目の前から、悪い行いを取り除き、悪事を働くのをやめることです。聖霊の油注ぎが必要ですね。
何をもって、私は主の前に進み行き、いと高き神の前にひれ伏そうか。全焼のささげ物、一歳の子牛をもって御前に進み行くべきだろうか。 主は幾千の雄羊、幾万の油を喜ばれるだろうか。私の背きのために、私の長子を、私のたましいの罪のために、胎の実を献げるべきだろうか。 主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、主があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。 ミカ書 6章6~8節
主が私に求めておられることは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことです。
主が望まれていることは
「ただ公正を行い、誠実を愛する」אִם־עֲשׂוֹת מִשְׁפָּט וְאַהֲבַת חֶסֶד 「公正」ミシュパットמִשְׁפָּטとは「神の国の義」と言う意味です。「誠実」と訳されていますがヘセドחֶסֶדは「恵み、愛」と言う意味です。ですので、ここで預言されていることは「神の国の義を行い、恵みや愛を愛して、へりくだって、あなたの神とともに歩み」ことを、主はあなたに求められておられると言うことです。 「へりくだって、あなたの神とともに歩むこと」וְהַצְנֵעַ לֶכֶת עִם־אֱלֹהֶיךָ「へりくだり」ツァナアצָנַעは「イエスのへりくだり」です。 実に十字架の死のへりくだりです。そして、神とともに歩むことです。
新約聖書の証言
神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。 神を愛する者は兄弟も愛すべきです。私たちはこの命令を神から受けています。 ヨハネの手紙 第一 4章20~21節
互いに愛し合うことが「新しい戒め」です。 古い戒めは「殺してはならない」ですが、新しい戒めは「互いに愛し合いなさい」です。
わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 ヨハネの福音書 13章34節
古い戒めは「さばき」ですが、新しい戒めは「赦し」です。
もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。 しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しになりません。 マタイの福音書 6章14~15節
チャレンジ③ 古い戒めは「殺してはならない」ですが、新しい戒めはなんでしょう。 「互いに愛し合いなさい」です。
- 実践的な勧め
和解への具体的ステップ
自己吟味 自分の心を神の前に開く
わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。 見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。 ヨハネの黙示録 3章19~20節
謙遜な態度 相手の立場を理解しようとする
何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。 それぞれ、自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい。 ピリピ人への手紙 2章3~4節
私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。 ヘブル人への手紙 4章15節
積極的行動 自分から歩み寄る勇気
ですから、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物を献げなさい。 マタイの福音書5章23-24節
継続的努力 一度で終わらない関係の構築
謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい。 エペソ人への手紙 4章2~3節
教会共同体での実践
セルグループでの分かち合いと取りなしの祈りの実践 互いの重荷を負い合い困難な状況と関係のために祈る。執りなし手として、仲介者の働きををする。これが平和をつくる者としての私たちの使命です。
チャレンジ④互いに愛し合うということはどうすることでしょう。 お互いのために祈りあうことです。
結び
愛する兄弟姉妹の皆さん、このみことばは私たちをさばくためではなく、神の愛へと導くためのものです。私たちは皆、この基準に達することができない罪人です。しかし、だからこそイエス・キリストの十字架の恵みが必要なのです。
キリストは私たちの罪のために死なれ、神との和解の道を開いてくださいました。この恵みを受けた者として、今度は私たちが兄弟姉妹との和解を実践する使命があります。
互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです。 エペソ人への手紙 4章32節
今週、もし心に引っかかっている人がいるなら、勇気を出して和解の第一歩を踏み出しましょう。それが真の礼拝者、神の子どもとしての歩みなのです。
祈り
愛する天の父よ、あなたのみことばによって私たちの心を照らしてください。私たちの心の奥にある怒りや憎しみを赦し、きよめてください。兄弟姉妹を愛し、和解を実践する恵みをお与えください。私のこの心を御手に委ねます。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。

